うさぎは寂しくても死なない

備忘録を兼ねたブログ お酒(特にウイスキー)のことについてよく書きます

よなよな工場見学 行ってきた

よなよなエールや、水曜日のネコ、インドの青鬼でおなじみ、ヤッホーブルーイングさんの工場見学に行ってきました。

 

中に入るとすぐに代名詞であるよなよなエールの看板が。

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これはテイスティング用でしょうか。待ち遠しいです。
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まずは原材料の説明。

実際に原料となっている麦芽を食べたり、ホップの匂いを嗅いだりしました。

ホップ頑張って食べてみたけど苦い…(´;ω;`)

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さて、続いて工場の中に入ります。

すべての場所が撮影OKだったのはびっくりしました。

撮影OKということで写真載せますが、やばそうだったら消します。

 

何やらいろいろな管がわちゃわちゃしてます。

 

醸造するタンクですね、でかい…。

 

熟成タンクから、出来立てのビールいただいたりもしました。

(わかりにくいと思いますが、真ん中やや右くらいの蛇口からビールが出ます)

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缶に詰める工程は、実際に参加者が体験できるようになっていました(僕はできませんでしたが)。

 

さあ最初のところに戻ってきて、お待ちかねのテイスティングタイムです。

 


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写真が見にくくて申し訳ないんですが、冒頭に載せた5種類について、味やマリアージュ、開発秘話などを交えながら飲み比べました。

ここでしか聞けない話などもたくさんしてくださって、非常に楽しかったです。

 

テイスティングの最後に、秘蔵っ子が。

 

公式通販以外ではなかなかお目にかかれないという、バーレーワイン「ハレの日仙人」です。めちゃくちゃおいしかったです。

 

終了後、直売所で軽井沢限定のビールを買い込み、工場見学は終了しました。

この内容で1000円というのは非常に満足いくものでした。

 

10/27(土)にお台場でよなよなのイベントがあるみたいなので、興味のある方はぜひ。

内田真礼さんのFCイベ被ってるけど僕も恐らく行きます。

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ウイスキー基礎知識 第3回:ウイスキーの歴史

ウイスキー基礎知識、3回目です。

 

前回はウイスキーの種類についてお話ししました。

モルトウイスキーとグレーンウイスキーブレンデッドウイスキーの違いはもうお分かりになりましたでしょうか。

 

このウイスキーですが、どこで生まれ、どのように今日まで発展してきたのか。

今回はそれを扱いたいと思います。

 

ウイスキーの歴史といいつつ、スコットランドにおけるウイスキーの歴史をメインに扱います。アメリカ・日本などその他の地域は、機会があれば扱いたいと思います。

 

ウイスキーの始まり

蒸留酒が生まれたのは、紀元前3,4世紀のメソポタミアと考えられていますが、ウイスキーが生まれたのは12世紀のアイルランド、もしくは15世紀のスコットランドといわれています。

 アイルランド説とスコットランド説のどちらが正しいのか現在もわかっていません。

 

アイルランド説は、1172年にイングランド王ヘンリー2世がアイルランドに侵略した際、「地元民が大麦の蒸留酒を飲んでいた」という報告があったことを根拠にしていますが、これには物的証拠がありません。

イングランド説は、1494年スコットランド王室財務省の記録に「修道士にモルトを与えてアクアヴィテ(ウイスキーの語源)を作らせた」と記述があるのを根拠にしています。

 

ちなみにウイスキーという言葉は、ラテン語で生命の水という意味の「アクアヴィテ」が、スコットランド土着のゲール語で「ウシュク・ベーハー」となり、やがてウイスキーになったと考えられています。

 

密造酒時代

ウイスキーが生まれてから18世紀ころまでは、ニューポットといわれる蒸留したての無色透明の液体でした。

ではどのように樽に入れ、熟成させるという工程が生まれたのでしょうか。

それには「密造」が密接に関わっています。

 

この頃、スコットランドイングランド(イギリス)からウイスキー製造にとても重い税がかけられていました。

それを逃れようとした生産者は、北部の山が深いハイランド地方に潜伏し、ウイスキーをひそかに作り続けます。

役人の目を逃れるために、蒸留したウイスキーを使い終わった木樽に入れておいたところ、香りが高くまろやかな琥珀色の液体に変わっていたのです。

これによりウイスキーは樽熟成という過程を経ることになったのです。

 

ウイスキーの蒸留所にはグレン○○という名前が多いのですが、このグレンというのはゲール語で谷を指します。

密造酒時代、ハイランドの山々の谷に隠れてウイスキーを作っていた名残なんですね。

 

この樽で熟成したウイスキーがおいしいとひそかに人気を集めていきます。

税金の課税差別の撤廃や、当時のイギリス国王がスコットランドを訪れた際に、密造酒であるグレンリベットのウイスキーを所望したこともあり、1823年にグレンリベット蒸留所が政府公認蒸留所第一号として認められます

その後、次々に蒸留所が認められていき、密造酒時代は終わりを告げます。

 

世界に羽ばたくスコッチウイスキー

密造酒時代が終わっても、まだまだウイスキースコットランドの地酒でした。

それが世界的なお酒になるには、2つの理由があります。

 

一つ目はブレンデッドウイスキーの誕生です。

前回の記事でブレンデッドウイスキーについて述べましたが、個性が強いモルトウイスキーと、無個性なグレーンウイスキーを混ぜることで、万人受けする味へと変化を遂げました。

これが世界中で好まれるようになった理由です。

 

 

二つ目は、フィロキセラの大流行です。

フィロキセラとは、ブドウの木に寄生する害虫で、1860年代から1880年代にかけてヨーロッパで猛威を振るいました。

当時のロンドンの食後酒といえばブランデー。しかし、フィロキセラの流行でワインやブランデーを作ることができなくなり、しぶしぶウイスキーに手を伸ばしたというわけなんですね。

スコットランドウイスキーはロンドン、ヨーロッパに広がりました。

その後、アメリカへの移民とともにアメリカに広がり、世界中で愛されるお酒になったというわけなんですね。

 

さて、だいぶ長くなってきてお疲れの方もいるでしょう。

大丈夫、これで終わりです笑。

ここまでの話は、ウイスキーに関する書籍に書いてあるいわゆる「教科書」的な内容でした。

では、今のウイスキーはどうなのでしょうか。

 

先ほどの話のあと、ウイスキーは順調に成長し続けていましたが、1980年代から2000年にかけてウイスキーの歴史上最大の不況に見舞われます。

さまざまな蒸留所が苦難に直面し、多くの蒸留所が廃業・閉鎖となりました。

この原因は、さまざまな専門家が言及しているものの、確たるものはわかっていないそうです。

 

しかし、2000年以降、シングルモルトがブームとなり、BRICSなどでもウイスキーの需要が増えたことで2018年現在、ウイスキーは順調に伸びています。

 

一方で、需要の増加に供給が追い付いていない側面もあります。

日本のウイスキーにおいても、白州12年や響17年が終売になっています。

ウイスキーにおいて〇年とは、〇年以上のお酒しかつかっていないということであり、1980-2000年の不況の時期に生産を縮小したことで、その時期の原酒を使うお酒が造れなくなっているんですね。

 

今、各蒸留所は増産体制をみせ、閉鎖していた蒸留所も再開の予定が立っていたり、新しい蒸留所建設の計画も次々に立っています。

 

その流れが身を結ぶのは5年、10年かかるので、その時もウイスキーのブームが続いていることを願うばかりです。

 

さて長くなってしまいましたが、ウイスキーの歴史でした。

次回は世界の五大ウイスキーについて紹介します。

それではまた。